「だっさい」

先日。御馳走になった際に「だっさい」というお酒をいただいた。難しい漢字で、私には書くことができない。本当は読むこともできない。私に日本酒の良し悪しが分かるはずもないけれど。山口のお酒だということだ。岩国のお酒だと。岩国には好きだった人がいた。今でも大好きな人だ。けれど、その人はもう生きてはいない。岩国は私にとって禁忌の土地なのだ。あの街については語らない。語れないのだ。

♬ 酔ったふりしてキッスのチャンスを

さがしたのは本気だったからさ。・・なんてね。

おじいちゃんだけど、上を向いた強いフリしたおじいちゃんだけど、気の弱い優しいおじいちゃんだとも見えるけれど。

すげぇじいちゃんだ、と思う。すげぇじいちゃんだ。

 

google maps のStreetViewで

あの街を歩いた。駅舎すら見覚えのないあの街は、思い出の街ではなくなっていた。歩き慣れたつもりの道順も、その通りに歩いてみても、それはもう私の街ではない。私はもうあの街とは関係のないモノになってしまっているのだ。それが解った。

すぐにでもあの頃に戻れるつもりでいたのに。それは私の勘違いだったわけだ。記憶の中のあの風景はどこかの街角で迷路に迷い込んでしまっているのだ。私が・・だ。私はもう現実ではない世界を歩いている。東京へは戻るべきではないのだろう。あの街へ行けば、いろんな風景をなくしてしまうのだろう。そう思う。幻の街。あれは山田太一のドラマだったように思う。

今。今痛みが引き上げていく。

こんなことは初めてだ。薬は使っていない。できるだけ正直に書く。膝から下方へくるぶしの辺りを通過して指の先から今、痛みが去っていく。この感覚は初めてだ。完全にぬけていく。私の身体から、痛みが去る。健全な感覚がもどってくる。もどってくる。

物語の第二シリーズの最終回は小気味よく終る

西尾維新という作家は才能ある人物なのだろう。ずっと悪役に見えていた「カイキ」にとんでもないことをしゃべらせる。「センゴクナデコ」の声優「花澤香菜」もまた魅力的な声だ。役者だ。彼女の演じる作品は魅力的だ。

声優という職業は役者の下に位置しているわけではない。

西武新宿線と西武池袋線は違うのだ。

新宿線には下井草と上石神井と小平があって、池袋線には椎名町がある。練馬がある。

つまり新宿線は雌で、池袋線は雄なのだ。池袋線に長く乗っていると、自転車で走れる公園があった。昔、確かにあったのだ。池袋にあの高いビルができた頃だったか。それ以前だったかは定かではないけれど。

名もない花って何と傲慢な表現だ。

ずっと昔。よく使った言い回しだ。使い古された言葉だ。名もない花・・それは単にその話し手の無知を言い表しているに過ぎない。経験不足を表明しているに過ぎない。名前を知らない花がある。・・が正しい。つまり僕らは知っているのだ。誤魔化しているのだ。あの感情の名前を僕は知っている。ただ口に出すことができないでいるのだ。

口に出せない僕の悪意なのだ。